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つれづれと草る日記

つれづれと草りたいときに草る日記です。

子供も大人も感情に蓋をすることに慣れないように祈ります

だからなんだ

一人称について

わたしは心の中で考え事をするとき

気弱な僕になることもあれば

飄々とした俺になったり

優しいわたしになったり

頭でっかちの私だったりする



大学卒業前後の多くの若者がそうであるように

私も詩や思索といったものに強い興味を抱き

自分の内面の世界を紐解いていくことに夢中になった

自己分析
性格診断

あるサイトで40分ほどかけて数百の質問に回答し
いくつかの論理問題や一般常識の問題を解いてみると

診断不可と出た

父性 母性 大人っぽさ 子供っぽさ
四つの指標で数百の性格に分類してくれるはずだったが

曰くどの指標も限りなく平均値に近いため
ふざけて回答した可能性が高いとのことだ



真実は私がその四つの指標では計れない性格をしているということだ

自分の印象について親に尋ねてみると

どんな人かよく分からないと言われた

20年近く育ててくれた親に

ママ友どうしで息子の話題になったとき
いつも私の印象は人によって十人十色だったらしい


僕は子供みたいに無邪気に振る舞うし

かと思えば妙にしっかりしているし

おじいさんみたいに静かに瞳の奥で何かを見つめているかもしれない

私は俺になるときもあるしそのままわたしでいることもある



多重人格とか

人格が分裂している状態とか

そういうわけではない

同じ一人の人間なんだけど性質が気分のように変化し得る



自分を閉じ込めるということ

私の場合はそれが複雑な性格を生み出すきっかけだった

大人の顔色を見て振る舞う子供だった

敬語でしか話せず、先生に子供っぽく甘えられる子たちが羨ましいと思っていた

自分では気づいていなかったと思うが

子供の頃の私にとって性格とは意識して作るものだった

役割を演じる悲しい子供だったのだ



子供の頃、私はみんなの面前で泣いた

弱い自分を恥じて心の奥底に閉じ込めようとした

そしてそれに成功してしまった

そして10数年もの間そのことを忘れていたのだ

大人になってから
あることを契機に奇跡と集中的な思索によって
子供の頃の自分が胸の奥深いところに長い間閉じ込められていたことを思い出した

そして鍵を開けてみると

不思議なことに僕の中には大人になった僕と子供のままの僕が同棲するようになった

その瞬間その日の間は僕は確かに子供だった

帰り道ずっと子供の僕が起きていた



精神年齢は凍結状態にあっては肉体の年齢と切り離された次元で存在し得る

しかしひとたび解凍されるとみるみるうちに肉体の年齢に吸い寄せられていった

気づくともう僕は俺で私だった

でもたぶん解凍してから意識的に多重人格を維持しようと思えば可能だと感じた

僕は少しそれが怖かった、だから意識的に僕は俺で俺は僕なんだと言い聞かせていた



だからなんだ

後日読み返して心底そう思った