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つれづれと草る日記

つれづれと草りたいときに草る日記です。

目的論的自殺論

人生

1.目的や理由が分からないと行動したくないと感じる人

 

生まれつき学問を好む傾向がある子どもはあらゆることに理由を求める。

そして学校に通うようになるとますます子どもたちの知的好奇心を刺激するものが溢れてくる。

しかも学校で教えることになっている社会と体育と道徳と国語以外の全ての科目は彼ら彼女らの根本的な疑問に答えられることしか教えないようになっている。
人間の脳内で最もドーパミンが出るのはできないことができるようになったときだと言われている。だから分からなかったことが分かるようになることは脳科学的に最も興奮する体験の一つだ。


すると彼ら彼女らは新しいことを学ぶ際に「何でそうなるの?」と常に考えるようになる。
学問において「何でそうなるの?」と問うことは極めて重要なことなので、彼ら彼女らは学業において好成績を修める。だから多くが大学まで進学することになる。


そうして二十数歳に至るまで何にしても何故そうなるのかを考える生活を送り続けると、ついに理由が分からなければ行動したくないと感じるようになる。

 

 

 

 

2.哲学を好む人が陥りやすい危険、生きる意味の喪失

 

そういう若者は大学生くらいになると、理由を考えることそのものである哲学に興味を持つようになる。


生きるとは何か。
何故生きるのか。
何のために生きるのか。


しかし人生の根本的な問題を考えるようになると泥沼にはまることになる。
何故ならそれは答えのない問いだからだ。
唯一絶対の答えはあるかもしれないがそれを知るのは神のみだ。


歴史上多くの哲学者が自分なりの答えを出してきたが、答えは人によって異なる。

つまり誰もどれが正しくてどれが間違っているか分からないのだ。

逆にいうとどれも正しくてどれも間違っている。

人生の意味は何かという問いに対する答えに当該個人が心から納得できるならその答えは彼または彼女の人生において正しいと言って良いので、彼または彼女は生きる意味を持つことができる。しかし人生の意味は何かという問いに対して当該個人が心から納得できる答えを導き出すことができない場合、彼または彼女は生きる意味が分からないという状態に陥る。

 

 

 

 

3.生きる意味が分からない→死ぬことに意味が生じれば生よりも死を選ぶ動機になる


生まれてこのかた全ての疑問に対して答えを求めてきたために、今では全ての物事に対して何でそうするのかが分からないと行動に移すことができなくなってしまった人間が、生きる意味が分からなければどうなるかというと、生きることを積極的に実践することができなくなる。


残念なことに多くの人にとって人生の意味について自分が心から納得できる理由を見出すのは極めて困難だ。よって生きる意味が分からなくて悩んでいる大学生はかなりの数にのぼると思われる。


それでも生きる意味が分からず悩んでいる大学生が即座に死を選択しないのは、死にたくないという感情の方が、生きる意味が分からないことに対する絶望よりも大きいからである。積極的に生きる意味も持たないけど、かと言って積極的に死ぬ意味も持たないのである。


しかし彼ら又は彼女らは他の人に比べて自殺に近い位置にいる。
何故なら生きる意味が無なので万が一死ぬ意味が僅かでも生じれば、生きる意味を死ぬ意味が簡単に上回ってしまうからだ。
そうすると他の人が恐怖から生を選択するような場合でも、死を選択しやすいだろう。


例えば堪え難い苦しみを味わったとき、それを逃れる方法が自殺以外に考えられたとしても、自殺することによってその苦しみから即座に解放されるとなれば、彼又は彼女にとっては自殺を選択する動機として十分だ。

 

 

 

 

4.自殺者の真意は生きている者には推察することしかできない


自殺の報道がなされると、自殺以外にも苦しみを逃れるすべはあっただろうに何故自殺を選択したのか分からないと感じる人は少なくないだろう。
自殺した人の自殺に至るまでの精神状態は自殺未経験者には推察することしかできない。
自殺にまで思い詰めるとき人は冷静な判断ができなくなっているのかもしれないし、生きていること事態が苦しみだと感じたのかもしれないし、今逃げて生き延びても生きていくことはできないだろうから結局自殺するなら今死んだ方が自分にも他人にも迷惑かけないだけいいだろうと思ったのかもしれない。

 

 

 

 

5.まとめ


ただ目的論的な立場からするとたとえ自殺以外に問題解決方法があったとしても、自殺によって問題が解決できるなら、生きる意味が分からない場合自殺する動機として十分であると言える(3段落参照)。しかも生きる意味は大抵の人間にははっきりとは分からない場合が多いというのがミソだ(2段落参照)。


つまり多くの場合、目的論的立場からするとたとえ自殺以外に問題解決方法があったとしても自殺によって問題が解決できるなら、自殺する動機として十分であると言える。

 

そしてそのような目的論的立場をとる人間は実際にいると思う(1段落参照)。