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つれづれと草る日記

つれづれと草りたいときに草る日記です。

夢について

だからなんだ

「夢を見た。冬の松林を旧友と分け入っていく夢だ。のっそりのっそりと枝を押しのけ進んでいく。そのたびに枝に積もった雪が自分の右腕に落ちてくる。雪の感触はそこに何もないかのようにやわらかくて軽かった。ふと薄い橙色の小さなクモが巣と一緒に揺れているのが目に入った。僕が気づかずに枝を押しのけようとしたからクモは落とされまいと懸命に踏ん張っているようだった。巣をかいくぐって松林を抜けると親しい友に出会って夢から覚めた。」

 

夢日記を書くのは精神上よくないと読んだことがある。

なんでも日記をつけるうちにはじめはおぼろげだった夢の記憶が次第に明晰になり始め、ついには夢と現実の区別がつかないようになるほど記憶が混乱するらしい。

 

ふつうは逆だ。

目が覚めると次第に頭が覚醒していき現実感が強まってくる。すると逆に夢で見たことは霧のようにかすんでいってしまう。確かに強い感情を抱いた夢も後には感情の残り香だけしか感じ取れない。

 

目が覚めると意識と無意識がとってかわる。

自分の体を動かしている王様が二人いて月の王様と太陽の王様がそれぞれの世界を担っているかのようだ。

 

だから見方次第では眠るときだって意識を失うんじゃなくてだんだん夢の意識が強まってくるとも考えられる。

始めは意識があってベッドで今日会ったことを振り返り明日あることに思いをはせている。

やがて眠りに落ちる間際は想像と考え事と夢と意識のはざまのような夢心地を体感する。

そして夢を見始めると無意識が意識に成り代わる。

そのとき夢の中の私は現実で眠る私が夢を見ているのだとは気づかない。

あんまり夢の中の意識が覚醒しすぎると、とうとう胡蝶の夢みたいに感じるようになるのだろう。

 

寝ている人は起きている人よりも意識を失っているという意味で意識がないだけに過ぎず、夢の中で起きているという意味では意識がある。

昏睡状態の人は夢を見るのだろうか。

三か月の昏睡状態にあった父親は熊に息子たちのためのポテチを盗まれる夢を繰り返し見たという。

https://www.reddit.com/r/AskReddit/comments/288i38/redditors_who_have_been_in_a_coma_did_you_dream/

 

 

夢の世界の意識が現実世界の意識と入れ替わってしまうことがある。

あんまりリアルな夢を見るようになると、どっちを現実で見てどっちを夢で見たのかわからなくなってくる。

というのも現実の体験が夢の引き金になっているからだ。

自分が忘れているような些細なことでも、直前の体験なら生々しく反映されることがある。

しかも夢に出てくるものは現実そっくりそのままでてくるのではなくて、形、色、動きなどの性質が現実で見たものと微妙に変化していたり、動きはA、色はB、形はCというように複数のもののモンタージュだったりする。

だから記憶に混乱が生じる。

 

例えば冒頭で述べた夢に出てきた小さな薄いオレンジ色のクモは二日前に牛丼屋で見た黒い小さなクモと、ここしばらく洗面所の壁に居座っている薄い茶色の小さなクモとが合わさってできているのだと思う。

夢のクモの動きは牛丼屋の黒いクモの動きに似ているし、薄いオレンジ色は洗面所の灯りと薄茶色の混色だ。

牛丼屋で見たクモのクモらしからぬおぞましい動きに抱いた不快感がどこか心に残っていて、それが引き金となって夢にクモが出てきたに違いない。

 

このように現実を巧妙に調整し再配置した夢を記憶としてもってしまうと、あれは夢でみたんだったかな、これは昨日あの店で見たんだったかなと一瞬考えなければ分からなくなるようになることがある。

夢日記を書きすぎると頭がおかしくなるというのはそれを大げさに言っているんだろう。

 

逆に全く知らない場所や会ったことも見たこともない人が夢に出てくることがある。

つまり夢は現実で見たばらばらの事象を想像の糸でつなげた嘘の記憶であり、部分的には本当の記憶でもある。

 

だから現実がなければやっぱり私たちが今見ているような夢は生じない。

もし生まれてから何も見えず触ることのできない存在があったとして、彼はどんな夢を見るのだろうか。例えば生まれてまもなく真っ白い立方体の部屋に入れられ、白い壁と床と天井以外に何もない環境で育った生物はどんな夢を見るのだろうか。

 

夢は現実で我慢している欲求を夢の中で体験して解放する性質も持っている。

人は普段は理性の働きによって我慢をしている訳だけど、夢を見る際に理性が失われているかと言えばそんなことはなく、むしろ夢の中のわたしも夢の中である程度考え感じる程度に意識はあるのに、それにもかかわらず例えば夢で人を殺したりすることがある。

脳の働きによる理性は無意識的な欲求からくる脳の働きによってちょうど必要な分だけ弱めることができるものなのだろう。